メガネ修理日記(?)

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2005年5月19日(木) 衝動買い

「北広島市」なんて聞くと、きっと広島県に合併でそういう市が誕生したんだろうと思われ、それが、札幌の近くにそんな市があったなんて全く知らなかったわけで、最近、北の国からのお客さんが多いと思われ、あまり関係ないが「さだまさし ベストデビュー30周年記念リマスター盤」というCDを衝動買いしてしまったわけで、1曲目が「北の国からのテーマ」が入っているわけで、今も聞きながら、完全に「純くん」になってしまっていると思われ、オマケのように「蛍のテーマ」というのが入っているのはご愛嬌だと思われ、それにしても「無縁坂」は泣けるわけで、「白い手はとても小さくなった」というくだりで涙が頬をどうしても伝ってしまうわけで、傍らのもう使われることがない母の老眼鏡がとても切なく思われ、大きな声で「笑ってよ、僕のためにぃ〜」といっしょに歌ってくださいませませ。

2005年5月31日(火) 巨人、貴ノ花、タマゴ焼き

貴ノ花が大好きだった。それはもう大変なファンだった。寝ても覚めても貴ノ花だった。

それは実にほっそりとした貧弱にさえ見える力士の新入幕の場所であった。その「花田」という力士がようやく初日を出した時、観客の中にはバンザイをするものさえいた。文字通り必死の相撲でようやく向こう正面に寄り切ったのである(記憶少し不確か)。NHKの解説者はその花田の実兄かつ師匠の二子山親方(当時)だったのだが、その二子山が「この場所はせいぜい4、5番勝てればいいでしょう」なんてことを言っていたのを覚えている。その時から私はその「花田」のファンになった。貴ノ花と名を改めたのは、再入幕の頃だったと記憶している。
一度だけ貴ノ花の勝ちに喜べなかったことがあった。大鵬が引退するなんてあまりにも寂し過ぎた。相撲と言えば大鵬ではないか。「巨人、大鵬、タマゴ焼き」だった当時の私にはショックだった。

亡くなったことは悲しい。が実は、私の中では昭和56年1月場所で貴ノ花は終わっていた。長嶋茂雄は引退しても長嶋のままであると感じられるが、なぜか貴ノ花が親方となってからは、かつての貴ノ花の片鱗も感じられなくなった。ともかく、昭和56年1月に貴ノ花が引退して以来、あらゆるスポーツであれほどまでに夢中になれる対象は私の中では存在していない。手元には、当時の新聞から切り抜いた、多くの星取り表、大関昇進や初優勝の記事や写真が残っている。中でも、私が取り組みの一番、一番を入念に解説した文章は一生の宝となった。

ありがとう、貴ノ花。 合掌。

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